2013年11月14日木曜日

心に刻まれたことば

 個人的なブログではないのでちょっと悩んだんですが、「中学3年生の言葉」ということで当時の自分たちを思い返す意味でも、少しだけお付き合いください。




       宮城県気仙沼市立階上(はしがみ)中学校  梶原裕太君の卒業式答辞






当時かなり話題になっていたのでご存知の方も多いと思われますが、初めて私自身がこのニュース映像を観た時は、震災後10日目ぐらいで精神的にもあまり余裕もなく、ましてや答辞の内容に関しても周りの大人の方たちの助言等があったんだろう的に勝手に解釈していました。しばらくたってから、自分にもいくらか余裕もでき多少気になっていたこのニュース映像をネットで検索してみたら一部の方たちの間で大変な反響で、その中でもやはり話題は「答辞の言葉はすべて自分で考えた」という事柄でした。

映像から観る限りでも、そこに気負いも気後れも、打算も思惑もなく、ただひたすら純真に心の奥底から発する言葉だと思います。だからこそ観る者にこれだけの感銘を与えるのでしょう。毎回必ず泣かされています。50歳を過ぎて15歳の少年にとてつもなく大きく大切なものを教わった気がします。一生忘れられない言葉です。

 「 苦境にあっても 天を恨まず 」



やはり彼の言葉が気になった方が別のサイトで解説されていました。たぶん多少なり参考にされていたのではないだろうかとの事です。         

以下まま

 『 「天を怨みず、人を尤めず=てんをうらみず、ひとをとがめず」です。出典は論語です。
自分が志すことがうまくいかないからといって天を怨むこともせず、誰も自分を理解してくれないからといって人を咎めたりしない。それらは、全て天意である と受け止め、自分のなすべきことは、足りない点を反省し、ひたすら学問、修養に努力すること以外にないとすること。 孔子が弟子の子貢(しこう)を諭した言葉です。 』






 自分自身の中学校卒業式で答辞は誰がしたのか何を話されたのか、まったく覚えてません。それ以外の事もよく覚えていません。それだけ浮かれていたんだろうと思われます。長い人生においても紛れもなく浮かれの絶頂でしょう。浮かれるなという方が無理であると・・・。そんな一大イベントを震災で台無しにされて、恨み辛みのひとつも言いたいだろうに、・・・。

この震災時の直前の自分もかなり浮かれていたような記憶があります。50歳という人生の節目みたいなものを1ヶ月後にひかえ、その年の夏に開催予定の同窓会をイメージしながら、ホントに浮かれてました。

その瞬間は職場の駐車場にいましたが、同じ敷地内にある「しまむら」さんの正面ガラスが割れた瞬間は、「もしかしてこれは夢か映画かなにかのワンシーンか?」 「本当にこれは現実か?」と









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